織物の持つ意味・用途
皆さんは織物の使い方というと、どのようなことが思い浮かぶでしょうか。
タペストリー(壁掛け)などインテリアのアクセント、ベッドやテーブルなどのカバーリング、そして日本で暮らす私達にとっては和装など衣類としての織物、袱紗・・・と、現代の私達の生活においては、実用的な存在としてよりも生活に味わいを加えるエッセンスの部分が多いかと思います。
対して東南アジアでは、近代化が進み日常的に織物による民族衣装をまとった人々が減りつつある現状ではありますが、地域によっては日々の衣料として活用している場所もあり、またそうした用途以外にも、まだまだ手織り布は身近な存在にあります。
こちらのコーナーでは、織物内に織り込まれた文様(モチーフ)の持つ意味合いとはちょっと目線を変えて、まだまだ生きた形で使用されている東南アジアでの織物自体の意味合い・用途についてご紹介致します。
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◆ 衣類として
時代の流れと共に、現在では洋装の人々が殆どとなった東南アジアですが、日本の伝統衣装である着物と同様に、今でも冠婚葬祭などをメインに伝統織物が身にまとわれる場面があります。
また、一部ではありますが現在でも日常的に伝統衣装を身にまとって人々が暮らしている地域もあります。
一枚の織物を体に合わせて裁断・仕立てることなく、ほぼそのままの形で使用する衣類の種類は、腰衣、肩掛け、腰衣兼肩掛け、胸当て、褌、マントのように羽織るブランケットなど実に様々ですが、現在見かける機会が比較的多いのは腰衣(腰巻)かと思います。
こうした織物に使用される色彩(染料)や織り文様、使用される素材などによって、その人の社会的地位や氏族などが判別できたといわれます。
インドネシアのフローレス島などは、日常的に伝統衣装を身にまとって人々が多く暮らしている地域の一つと言えます。
現在でも写真のようにイカットの腰巻をまとった女性達が行き交います。
都市部や若者の間では洋服姿の人が多くなりましたが、それでも伝統織物が生き生きと使用されている希少な地域と言えるかと思います。
こちらはインドネシアのスンバ島のとある祝いの席での正装姿の男性。
男性の正装の場合、二枚の同柄のヒンギーを腰巻と肩掛けとして体にまとう場合と、一枚の布で腰衣から肩掛けまで兼用する場合があります。
現在では、スンバ島では冠婚葬祭の際にのみ正装されるといった感じで、残念ながら日常では民族衣装をまとった人々は見かけることがなくなってしまいました。
◆ 家庭用品として
織物の中には家庭用品として使用されてきた伝統織物もあります。
そうした織物の中には、とても華やかかつ手の込んだものもあり、魅力に溢れております。
家族への愛や想い、そして来客へのおもてなしの心が篤く感じられる織物といった風情で、私も大好きな織物の種類です。
こちらのパーロップはサリーと呼ばれる敷布団の上に敷かれるタイ族伝統の敷布で、来客用の敷布としての他、婚姻時の結納品や寺院への寄進品としても使用されます。
素朴ながらもタイ族に伝わる浮織りの技を駆使して華やかに織り上げられ、下半分の裾に凝ったマクラメ編みのフリンジが施されたりもします。
こちらは上のパーロップを敷くサリー(敷布団)を布団干ししていたラオスのタイ族の村の風景。
藍染めを主体とした素朴な風情ながらも、サイドにはやはり浮織りの技が発揮されています。
こちらのラオスのパーホムは、旅先や寺院での簡易寝具・敷物などに使用される多目的の伝統織物です。
朝夕と肌寒いことのあるラオス北部では、敷布としての他にもブランケットとして体に巻くなど、実に様々に用いられます。
こちらはタイのタイ・ルー族に伝わる手巾の一種パーチェッ。
パーチェッはラオスのパービアンに相当する肩掛け布ですが、パービアンは女性が身に着けるのに対し、パーチェッは男性が身に着けます。
文字通りの意味合いは手拭いですが、実際にはお寺の行事や祭事の際に男性が肩に掛ける織物で、女性が好きな男性に贈るプレゼントとしてつくられてきた織物でもあります。
このタイプの手巾以外に、実際に手拭いとして使用されるシンプルな織り模様のものもあります。
こちらはタイ・ルー族の敷布パーレェープ。
旅行の際や寺院に宿泊する際に使用される簡易敷布です。
同じ簡易敷布でも、パーレェープはパーホムよりも小ぶりで厚みが少なく、より持ち運びがし易いように作られます。
パーレェープの中でも、こちらはとても華やかな装飾が施された品で、結納品とされた物です。
家庭用品としての織物には、その他にも枕や蚊帳に華やかな装飾の施されたものなども見受けられます。
◆ 寄進として
信仰に篤い人々の多い国々では、寺院への寄進用として様々な織物がつくられてきました。
上記の寝具や手巾なども寄進の品としての側面も持っておりますが、他にもトゥン(トン)と呼ばれる幡も寄進用としてつくられてきました。
◆ ステイタス・シンボルとして
パトラのように所持していること自体がステイタス・シンボルとされてきた織物も存在しますが、現在でも結納や葬儀の際には織物の枚数・質が重量視され、ステイタス・シンボルとされる地域があります。
スンバ島では数ヶ月〜数年をかけて葬儀が行われますが、その間のご遺体の保管時には数多くのヒンギーで棺や、ご遺体を直接何枚ものヒンギーで包んでいき、そのご遺体が安置された場所にも装飾として天井などからヒンギーが飾られることがあります。
そして、埋葬時には多くのヒンギーが一緒にお墓に収められます。
こうしたヒンギーの数は数十枚から百枚を越えることもあり、村の権力者であればある程、持ち寄られたイカットの枚数・質ともに上昇します。
以前はこうしたヒンギーを狙っての盗掘が発生したこともあるそうです。
また、結納時には織物の数が少なかったり質が悪かったりといった場合には、悲しい話しですが村八分とされる場合もあるそうです。
◆ 魔除けとして
織物の中には、魔除けの力を秘めた布として崇められてきた織物もあります。
例えば、インドネシアのバリ島トゥガナン村でつくられる聖なる織物とも呼ばれるグリンシン。
そして、何気ない風合いの織物にもそうした意味合いが含まれているものがあります。
バリ島の寺院や舞踊の場などで見かけることの多い、白と黒の格子模様のポレン(poleng)などもその一つです。
この白と黒は善と悪を表すとされ、とても重要な位置付けの織物です。
上記の他にも、祭儀の際に壁掛けとして使用されるための織物、また日本の袱紗と似たように贈答品を包むためだけにつくられる織物などもあります。
それぞれの織物の持つこうした本来の意味合いに思いを馳せるのも、また楽しいものですね。
実は、一年に神事・祭事が多数のため民族衣装をまとう機会が多く、また朝夕のチャナンのお供えの際にもサロンを着用するなど民族衣装をまとう機会の多いバリ島の女性達も、現在は量産されたプリントバティックや、その他の安価な機械織り生地のサロンをまとう人がほとんどとなり、残念ながら手織りのイカットを身に着ける人達はあまり見かけなくなってしまいました。
それでも東南アジアの一部地域でも、手織り布が日常の生活に溶け込む形で使用されているということは、喜ばしいことと思います。
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